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2011.04.06 悲しい思い出

最近毎日のように亡くなった母の夢ばかり見て、泣きながら目が覚めるときがあります。
若いときの父も登場したりして嬉しく思うこともあるんですけれどね。


やはり東日本大震災で被災された多くの年配の方をテレビで見て
亡き両親のことを想うのかもしれません。


不相応な欲も持たず、真面目に歩いてきた人生の終焉があの大災害では
ほんとうに気の毒でたまらなくなりますね。

「もう海は見たくない」と言われた年配の男性の言葉が印象的でした。




わたしの母は以前にも書きましたが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病で亡くなりました。

これは病気の中でも「もっともむごい病気のひとつ」と言われていますが
多くの場合、手や足が突然動きにくくなって(神経が関係している)、段々筋力が落ちることによって体の運動ができなくなり、
食事や会話も困難になり、最後には呼吸筋がやられて、人口呼吸器を付けなければ死に至る病です。

でも知覚は侵されないので最後まで意識はしっかりあります。
じわじわと死んでいくという体でした。


若く発症するほど経過はゆっくりですが、歳を取って発病すると、日に日に進行していくのがわかります。
母は発症が70歳前でしたから、主治医の予告とおり3年で亡くなりました。


わたしは讀賣新聞の医療ルンネッサンスでたまたまALSについて知っており、
田舎の病院ではなかなか診断してもらえなかった母の病気がそれではないかと
聞いたときに直感し、わたしの住んでいた県に両親を呼んで介護することにしたのでした。

両親はわたしに心配をかけまいとして、最初は病気のことを言ってくれなかったのですが
(わたしも子宮頸がんの手術のことは術後まで言わなかった。ばれましたが。。)
わたしが聞いたときにはすでに母の手はほとんど動かなくなった状態でした。


母は自分が奇病に冒されてこのままでは周りに迷惑をかけるばかりになると、
ある時動かない手で腰紐をタンスから出して首をくくろうとしているところを間一髪で父に発見されました。


その後すぐにわたしは実家の荷物をあらかた片付け、自分の市にあるケアハウスを探し回り、
ふたりを介護タクシーに乗せて400キロ近くの道のりを走りました。
ケアハウスにも病院にも毎日通いました。


あ、書こうと思っていたことから逸れてしまいました。




もうケアハウスでは見切れない状態になって入院した国立の病院には
「神経難病」の病棟が二つあって、ただ 「死んではいない」けれども
「生きているとも言えない」ような人工呼吸器を付けた人々がそれぞれ50人『収容』されていました。


母の隣りのベッドには呼吸筋が侵される一歩手前で病気の進行が止まってしまって体はどの部分も全く動かず、
こちらの言っていることが「理解できるのかできないのか」が周りには判別できないご婦人がおられました。
ご家族がお見舞いに来られるのは多くて一ヶ月に一度といったところだったでしょうか。

付きっ切りで看病なさっている方も数人いらっしゃいましたが、ひどい人になると全く家族に見捨てられた
若い娘さんもいました。その人はすでに何年も入院しているという話でした。


目のまたたきだけで会話する患者さんもいますが、その筋肉さえやられてしまうと
もう人との意思の疎通はまったくできなくなります。
生きながら死んだ人のようになるのです。

いったん人工呼吸器を付けてしまうと、今度は外すタイミングがもうほとんど無い、という事態になります。
本人の意思が確認できないからです。


わたしの母はわたしの願いは聞いてくれず、人工呼吸器は付けないという固い意思を表明していました。
それを決定したときの苦しみといったら表現する言葉が見つかりません。


母が愛した父は母が逝ってしまう一年前に胃癌の術後が悪く、七ヶ月の闘病の後に亡くなっていました。



あるとき母がわたしに言いました。
「丸ちゃん、神様ってほんとうにおってんじゃろうか。わたしは何にも悪いことはしたことがないのに
こんな病気になって、神様ってほんとうにおってんじゃろうか。」

わたしは言葉が出せず、「エホバという神様がおられて、もうすぐ楽園が来るのよ」なんて
白々しいことを言うことができませんでした。
その頃のわたしの心には「エホバ」に対する疑心の芽が出始めていたのだと思います。




世界ではあるところでは戦争があり、またこうして大災害にみまわれて多くの人が悲嘆にくれることがあり、
あの屍のような患者が並んでいた病院が、最近思い出されて、胸に熱い焼印が押されるような気分になることがあります。


優しく潔かった母のことがやたら思い出されてなりません。


母に会いたいです。




こうした数年を送った後、わたしが痴呆のような鬱病になったことも以前に触れました。


ですから、今回だれも想像できなかった大津波の被害に遭われた方々が
今は気丈に振舞ってはいても、長い目で気遣ってさしあげないと
後遺症がどんな形で出るかわかりません。


息の長い支援を行ってゆかなければなりませんね。




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