上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ここご覧いただいてる心優しい方々、きっと先回の記事を見て心配してくださってると思います。

ありがとうございます^^


予約していた「鍼」に行ってきましたよ。
それまで仕事の時だけ鎮痛薬を飲んで、
あとは痛いのとだるいのとで、だいたい横になってました。
(ご飯は作って食べてたw)



なんかね~、詳しい触診と問診をしてから「鍼」と「マッサージ」をしてもらうんですが
施術した後ももう一回問診とって、今回は軽い治療だけでした。

自覚は無かったんですが、肩はすごく凝ってたみたいで
首と肩のマッサージですごく体中の痛みが違ってきました。
一日しかもたなかったけど。。


でも、すごく「鍼」は合うみたいで(by 鍼のドクター。六ヶ所打っただけで効いたんだからね~)
しばらく週一で通うことになりました。(これだけ痛いとこが多いとかなり日にちはかかるらしい)
あとは漢方薬と、その吸収を助けるビタミン剤をいただいて試しています。

自営の仕事は当分休業です。
好きな仕事だからやりたいけど、腕と目を使うのでしばらくは無理ですね。残念だけど。



それでね~、なんか今回丸太的にはびっくりすることがあってね。
ぜひ聞いてもらいたいんです。(きょうも長いヨ)

以下、丸太と医師の会話。
(ドクターは見た目プロレスラーに成り損ねた体育会系みたいで、ものの言い方はバンカラ風?。。)

丸太:「あの、ぐったりしてたときに一つ気付いたことがあったんですが、言ってもいいですか?」
先生:「ああ、どうぞどうぞ」
     ・
     ・
以下順番で。
「先週、ぼやーっと『のだめカンタービレ』を観てたら、痛みがすーっと消えるのが分かって
 びっくりしたんです。あのマンガが原作のヤツで先生はご存じないかもしれませんが。」
  (あれ以来『アンドレア・ボチェッリ』を毎日聴いてる。のだめとは関係ないけど)
「知ってるよ。そりゃあ、良かったねー」

「はい。中高と吹奏楽をやっていたので、やっぱり音楽に癒されるんだと思います」
「ほう。楽器は何をやってたの?」
「はい。トロンボーンとクラリネットとフルートです。トロンボーンが一番好きです。」
「欲張りだねぇ。いいなぁ。ぼくも楽器をやりたかったんだけどできなくてね。。」

ここで看護婦さんが「だから先生は体を楽器にされたんですよね~」と一言。
実は丸太も病院のサイトで先生の趣味が声楽(テノール)って知ってて話をふったんですが。

先生:「あの『のだめ』のピアノ弾いた人、ぼくの歌の伴奏をしてたんだよ。」
丸太:(内心、しぇえぇええー!?! 古) せ、先生すごい人なんですね!」

あろうことか、先生はプロの声楽家だったのです。
それで看護婦さんが来月行われるコンサートのパンフを持ってきてくれました。

丸太感心してパンフに目が食い入るばかり。
がんばれば自転車で行ける距離なので、行ってこようと思います♪

それから少し音楽談義などして。。

診察が終わって立ち上がろうとすると、先生の口から、あの見かけプロレスラーの出来損ないみたいな体の口から

「神様は助けてあげたいと思ってくださってるから、必ず治る。安心しなさい。
 わたしたちの体を作ってくださった神様なんだから。」


丸太、目が点。


ここでそう来るとは予想だにしていませんでした。
さらに不用意な一言が丸太の口から!

「あ、あの、わたし20数年クリスチャンやってて、二年ほど前に止めたんです。。
 いろいろ納得のいかないことがあって。。」


これには先生もちょっとびっくりしたみたいで(でも俄然張り切りだされたのが分かったw)
先生:「間違った訳で読むとそうなる。原語で読むと正しく理解できるよ。」
丸太:「ほんとうにそうだと思います。」

「福音書で『心の貧しい人たちは幸いです』とあるね。あれは訳が間違ってるから誤解が生じる。
 心が貧しかったら幸せなはずないよね。どういう意味だと思いますか?」(by バンカラ)
「霊的に貧しい。つまり霊的に満たされていない状態で、そういう目に見えない霊的なものを求める状態だから幸い、とイエスは言われたのだと思います。。ごにょごにょ」

(ここは教会か?)

いろいろ説明(説教?)してくださったのですが、全然いやみな感じではなく。


わたしがルカの書の三章(系図のところね)が好きだと言うと

「ルカはわたしの師です!どれだけこれまでルカ先生の言葉に励まされたかわかりません。」

きゃー! これやばくないですか? なんと言うか、また来た的な(汗


「失われた羊や放蕩息子の例えもある。神様は丸太さんをここまで導いてこられたのだから」
「わたしは『失われた一匹の羊』の話には少しアレルギーがありまして。。」
「うむ。その心のアレルギーはいけないね。それが体のアレルギーの源でもある。」
「そうなんですか。。。。。。。」

それで先生が書かれた医学的見地から見たルカの書の解説書のコピーを少しいただいてきました。



なんですかね。 この巡り合わせ。

以前の丸太だったら、「神様がここに導いてくださったんだわ!なんてわたしは幸運なんでしょう!」ってなってたんでしょうけど、
今はまだ聖書アレルギーが強くて、聖書を開く気さえありません。


感動というより奇妙な心持ちがして、その日は寝るまで変な気分でした。




まぁ、今わたしは霊的に言うと さまよってるわけなんですけど、

先々週に長女の住んでる家の近くのお寺に、あるご縁があって
「仏教」に関心が傾いてたときだったんですよね~



ちょっと手が疲れてきたので
その話はまた~



来週、というか、今週の土日(30日と1日)、高円寺で

『高円寺びっくり大道芸 2011』という楽しいイベントがあります。

お近くの方はぜひ来てみてください!
楽しいですよ~


ひびチャズケさんと出会ってから一年になるんですね~


わたしも楽しみにしています。 もちろんチャズケさんたちも参加されますよ(*´∀`*)

チャズケさんたちのサックスアンサンブルはJR中央線・高円寺駅の南口ロータリーで
二日とも12時(正午)から演奏されます。

二日間で計6回の演奏を場所を変えてされます~♪

ニコニコ(*´∀`*)





スポンサーサイト

思った通りではあったのですが、「線維筋痛症」という病気だという診断を受けてしまいました(泣


これね、国の難病指定は受けていないんですが、
なかなかに厳しい病気で、
wikiの中に「2007年2月2日に43歳で亡くなった日本テレビの元アナウンサー:大杉君枝は
この病を苦に自殺したと報道されている」とか(自宅マンションから飛び降りたんですよね)
「死に至る病ではないが、死んだ方がマシな程の痛み」とあるように
全身に広範囲に強い痛みが伴う原因不明の病気です。



丸太、ここ10日ほどすべての関節のひどい痛みに襲われてまして、
鎮痛薬に頼って生活してたわけなんですが、
これは最近始まった痛みではなく、7,8年前、ちょうど両親を介護していたあたりに発症していたんですね。
(もしかしたらもっと前かもしれません。JWになってしばらくして股関節がひどく痛む時期があった)


母がALSという難病で亡くなったことを前回書きましたが、
神経難病の方たちは体温調節がうまくいかないため、冷房が普通病棟より早く5月から入り、
ガンガンに冷やすもんですから、毎日側にいた丸太、(おそらく)冷え過ぎでひどい肩関節周囲炎になりまして
首も回らず、それでも痛み止めと湿布でなんとか過ごしたのですが、
その後肩と肘の頑固な痛みが残ってしまいまして、足の親指の付け根もひどく痛むので
「リウマチ」か「通風」かと思って血液検査をしてもらっても異常ががない。


でもある時、NHKの「きょうの健康」のテキストを本屋さんで見ていたら
そこに載っていた「線維筋痛症」の症状とそっくりなんですね。

でも当時、その診断をくだせるお医者さんは全国でも数が少なくて(今でも自分の家がある県で一人しかいない)
「どうせなかなか診断は難しいだろうし、難病指定も受けてないから医療費もただにならないし、
この件で医者に相談するのはよそう」と自分で決めて、鎮痛薬を飲んでいたんですね。我慢できないときは。
「ノイロトロピン」というお薬がよく効いたのも幸いしたのですが。


そのうちに例の「痴呆のような鬱」になって「パキシル」というお薬が劇的に効いて
心も元気になったのですが、関節の痛みもだいぶ緩和されて、あまり意識せずにきていたんです。



ところが、ちょっとここのところ勤務先である問題が起きまして
(新しくオープンした調剤○局の報酬がわたしたちより上だということが分かって(汗)
患者数は圧倒的にこちらの方が多い。4倍くらい?)

こちらのスタッフは一致団結していて、一応わたしが一番古いので
「丸太さんの給料が低いのはおかしい」とか言ってくださって
みんな悩んだんですね。経営者が若いからこちらの論理が通じない。

二ヶ月ほど、どんな風に言うべきか非常に悩みまして、
わたし、あまり腹を立てたりする方じゃないんですが、カッとなる出来事があって
言いたいこと全部吐き出しちゃったんですね。
それで問題はだいたい解決したんですが、言った次の朝、全身の痛みで起きれなくて。


神経を使いすぎるとどうもダメみたいです。




ああ、長くなるんですが、自分のための記録として書きますね。

今回はただならぬ痛みで、痛み止めが切れると、もう起きていられないくらい体がだるくて痛くて。。
それで「この度は放っておけない、それに東京だから診断してくれる病院もあるだろう」と
ネットで調べてみると、なんと!高円寺南にあるじゃないですか!

もうすごいラッキーです。
それで早速行ってきたわけです。
いっぱい問診票を書いて、いっぱい検査して、残念ながら「線維筋痛症」と診断されてしまいました。。
まあ予想通りだったんですけれども。

手も上、前、後ろ、とどれくらい痛み無く動かせるかやったんですが
思いの他、動かせる範囲が狭くてびっくりしました。 心電図もとりました。
この日は笑えるようなおかしいことがいっぱいあって。 笑ってる場合じゃないけども。


その病院(診療所)は自転車で10分くらいの近いところで
立派な建物を想像していたのでなかなか見つからなかったくらい
高円寺らしい古ぼけたビルの一階の、狭い町医者みたいなところで。。(笑

たくさん座ってる患者さんも実に高円寺らしいいでたちの方ばかりで。。
サイケというか昭和みたいというか。。

ドクターはね、実はすごい人らしいです。



「この病気はね、頑張り屋で辛抱強い人がなるんですよ」と開口一番に言われました。

励ましの言葉でもあったんでしょうけど、自分が一番納得してました(笑

自分、絶対弱音を吐かない可愛くないヤツなんです。
辛抱強いのかどうか、きっと負けず嫌いなんでしょうね。
他の人と比べてどうというのはあまりないけど、自分で決めたことは絶対途中で放棄したくないんですよね。
JWは辞めたけど(笑   これは正解。
「初志貫徹」というのが座右の銘で(笑


きっと「have to. must」っていうのがとっても強いんだと思います。「~でなければならない」「~であるべき」とか。
だからJWの時もがんばったし、母親としても主婦としてもこうなければ、という気持ちが強くて
弱音が吐けず、いつも前向きで笑ってる。 その無理が体に出る。

胃のポリープもこの病気と関係してるそうです。



程度としては「重度まではいかないけど、中程度の一番上くらい」ということでかなりやばい。
無理すると重度になって日々の活動に支障がきて、人生を楽しめないものね。


んで、来週からすごい名医の「鍼」治療を受けるらしく(早く受けたいけど、予約がいっぱい)、
その効果を知るために鎮痛薬を飲んじゃいけないって言われて、じゃあ痛い痛いって寝とくんだろうか。。?
仕事の日は飲まないと行けないですよね。


それできょうは仕事が休みだったので、飲まずに我慢して寝たり起きたりしてたわけなんですが、
夜テレビで映画「のだめカンタービレ」を観ていたら、なんと!痛みが軽くなってくるじゃありませんか!
いや何ともびっくりしました。

この映画は終始クラシックの音楽が流れてるんですよ。しかも本格的なヤツが。
「自分、音楽で癒されるだな」ってことをはっきり認識しました。
やっぱり青春を吹奏楽に捧げた自分の成り立ちの背景と関係してるんでしょうね。
それにこの病気が器質的なものではなく、脳と心に関係していることもわかります。


ピアノを上京するときに処分したのもこたえたし、家が狭いから思い切って音楽が聴けない
ということもマイナス面なのかなぁ。



でも
「たばこを吸わない人は必ず治ります」との保障もいただいたので
今では診断がはっきりついて、かえってすっきりしています。
ただ長くかかりそうなんですよね。
「家族みたいな関係になるんだから」って言われてましたもん(((;゚Д゚))



それにしても奇遇だと思ったのは
母のALSという当時珍しかった難病もたまたま知っていて、すぐに見抜いたのもわたしだったし、

しかもわたしが住んでいた市に神経難病の名医がいらして(正確にはパーキンソン病の権威だった)
なかなか診断してもらえなかった母の病気を一発ではっきりさせてもらい
その女医先生は入院するまで、ケアハウスに毎週往診にきてくださって随分慰められたのでした。


そして今度は自分が珍しい病気に気が付いてて、しかもその道の権威の名医が高円寺にいらっしゃるとは!!!


これって偶然ですか? とっても不思議な縁(えにし)を感じています。


ああこうなったら出来ればここに長く住みたいけど、何せ家賃の関係ででで。




先のことはどうなるか分かりませんけれど、全然動じてない、希望を捨てない自分がかえってコワイです(笑




こんなヤツですがこれからもよろしくデス(*・ω・)





2011.04.06 悲しい思い出

最近毎日のように亡くなった母の夢ばかり見て、泣きながら目が覚めるときがあります。
若いときの父も登場したりして嬉しく思うこともあるんですけれどね。


やはり東日本大震災で被災された多くの年配の方をテレビで見て
亡き両親のことを想うのかもしれません。


不相応な欲も持たず、真面目に歩いてきた人生の終焉があの大災害では
ほんとうに気の毒でたまらなくなりますね。

「もう海は見たくない」と言われた年配の男性の言葉が印象的でした。




わたしの母は以前にも書きましたが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病で亡くなりました。

これは病気の中でも「もっともむごい病気のひとつ」と言われていますが
多くの場合、手や足が突然動きにくくなって(神経が関係している)、段々筋力が落ちることによって体の運動ができなくなり、
食事や会話も困難になり、最後には呼吸筋がやられて、人口呼吸器を付けなければ死に至る病です。

でも知覚は侵されないので最後まで意識はしっかりあります。
じわじわと死んでいくという体でした。


若く発症するほど経過はゆっくりですが、歳を取って発病すると、日に日に進行していくのがわかります。
母は発症が70歳前でしたから、主治医の予告とおり3年で亡くなりました。


わたしは讀賣新聞の医療ルンネッサンスでたまたまALSについて知っており、
田舎の病院ではなかなか診断してもらえなかった母の病気がそれではないかと
聞いたときに直感し、わたしの住んでいた県に両親を呼んで介護することにしたのでした。

両親はわたしに心配をかけまいとして、最初は病気のことを言ってくれなかったのですが
(わたしも子宮頸がんの手術のことは術後まで言わなかった。ばれましたが。。)
わたしが聞いたときにはすでに母の手はほとんど動かなくなった状態でした。


母は自分が奇病に冒されてこのままでは周りに迷惑をかけるばかりになると、
ある時動かない手で腰紐をタンスから出して首をくくろうとしているところを間一髪で父に発見されました。


その後すぐにわたしは実家の荷物をあらかた片付け、自分の市にあるケアハウスを探し回り、
ふたりを介護タクシーに乗せて400キロ近くの道のりを走りました。
ケアハウスにも病院にも毎日通いました。


あ、書こうと思っていたことから逸れてしまいました。




もうケアハウスでは見切れない状態になって入院した国立の病院には
「神経難病」の病棟が二つあって、ただ 「死んではいない」けれども
「生きているとも言えない」ような人工呼吸器を付けた人々がそれぞれ50人『収容』されていました。


母の隣りのベッドには呼吸筋が侵される一歩手前で病気の進行が止まってしまって体はどの部分も全く動かず、
こちらの言っていることが「理解できるのかできないのか」が周りには判別できないご婦人がおられました。
ご家族がお見舞いに来られるのは多くて一ヶ月に一度といったところだったでしょうか。

付きっ切りで看病なさっている方も数人いらっしゃいましたが、ひどい人になると全く家族に見捨てられた
若い娘さんもいました。その人はすでに何年も入院しているという話でした。


目のまたたきだけで会話する患者さんもいますが、その筋肉さえやられてしまうと
もう人との意思の疎通はまったくできなくなります。
生きながら死んだ人のようになるのです。

いったん人工呼吸器を付けてしまうと、今度は外すタイミングがもうほとんど無い、という事態になります。
本人の意思が確認できないからです。


わたしの母はわたしの願いは聞いてくれず、人工呼吸器は付けないという固い意思を表明していました。
それを決定したときの苦しみといったら表現する言葉が見つかりません。


母が愛した父は母が逝ってしまう一年前に胃癌の術後が悪く、七ヶ月の闘病の後に亡くなっていました。



あるとき母がわたしに言いました。
「丸ちゃん、神様ってほんとうにおってんじゃろうか。わたしは何にも悪いことはしたことがないのに
こんな病気になって、神様ってほんとうにおってんじゃろうか。」

わたしは言葉が出せず、「エホバという神様がおられて、もうすぐ楽園が来るのよ」なんて
白々しいことを言うことができませんでした。
その頃のわたしの心には「エホバ」に対する疑心の芽が出始めていたのだと思います。




世界ではあるところでは戦争があり、またこうして大災害にみまわれて多くの人が悲嘆にくれることがあり、
あの屍のような患者が並んでいた病院が、最近思い出されて、胸に熱い焼印が押されるような気分になることがあります。


優しく潔かった母のことがやたら思い出されてなりません。


母に会いたいです。




こうした数年を送った後、わたしが痴呆のような鬱病になったことも以前に触れました。


ですから、今回だれも想像できなかった大津波の被害に遭われた方々が
今は気丈に振舞ってはいても、長い目で気遣ってさしあげないと
後遺症がどんな形で出るかわかりません。


息の長い支援を行ってゆかなければなりませんね。




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。