上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
今はまってしまってます。
これ文庫で8巻まであるので、遅読の丸太、いつまでかかることやら・・・
以前から読みたかったのですが、なにせ長いので躊躇してましたが、今は時間が取れる状況になったのでtry!です。

先にドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読み始めていたんですが、ちょっと浮気して『坂の上の雲』に手を付けたら止められなくなってしまいました。
心移りが激しくていけません・・・
どちらも大作だから時間かかるだろうな~



さて
司馬遼太郎さんてすごい人ですね。
司馬さんの歴史認識は「司馬史観」と言われて、賛否両論あるようですが、洗脳(?)に注意して読めば、これ本当に面白いです。

明治維新前後についてはNHKの大河ドラマとかでもよくやるので漠然とは知ってましたが、日清、日露戦争の頃の歴史については案外知らなかったので非常に興味深いです。
近代日本がどのように出来上がっていったのか、当時の人々がどのような生活を送り、精神性を持っていたのか 勉強になります。

主人公の一人 秋山真之(さねゆき)の親友でもあった 正岡子規の生涯についても、その人となりと共に知ることができます。当時の日本人の熱い心構えは特に若い人に知ってもらいたいですねぇ。

JW時代にも 一つのことを追求していると、周りで起こる様々な悩ましい事も小さくみることができたのと同じように、日本の近代化に命をかけていた人々の頭には「何のために生きているのか」などという疑問はよぎりもしなかったようです。(もちろん子細に知ればまた違うかもしれませんが)

まぁ、JWの場合、どんなに邁進してもだれの福祉にも貢献していなかったという悲しい結果が待っていたので、明治の時代の志士とは大違いですが・・・(;´Д`)



こういう作品を読むと、現代の私達が得ているこの便利で平和な日本が 先人の血と汗の上に成り立っていることを深く認識することができますね。

子供達にも単なる出来事として教えるのではなくて、生きた歴史としてすべての事象が過去から未来へと引き継がれていくことを教える必要を感じます。人間教育を重視してほしいですねぇ。

スミマセン。そんなことを語れる丸太ではありませんでした・・・



あぁ、11月からNHKで始まるドラマが楽しみだ!これでしばらく生きる目標ができた(*・ω・)
   ・
   ・
   ・


司馬さんの頭の中にはどんだけの知識が詰まっていたことか。

その著作の量は膨大です(l|゚Д゚l|l)

丸太が死ぬまでにはとてもじゃないけど読めないだろうなぁ。
他にも読みたいものが山ほどあるし。





最近 カズオ・イシグロさんの作品を二冊読みまして、是非紹介したいと思っていたのですが、また記事にしますね~
カズオ・イシグロはイギリスで活躍している日本人で、この人の作品も素晴しいです。

読んだものは
『わたしを離さないで』(これは一昨年読んだ)
ブッカー賞を受賞した『日の名残り』
『わたしたちが孤児だったころ』

『わたしを離さないで』はもう絶対お勧めです!
こういうタッチの読み物ってあまりないんじゃないかなぁ。静かな語り口の小説ですが、不安・慰め・愛・恐怖・愚かさ・絶望・希望すべてが詰まってます。
もう文庫にもなっているので是非手に取ってみてくだされぃ。



「静」と「動」というジャンルに無理に分けるなら、前者ではカズオ・イシグロ、後者では浅田次郎氏が一番好きですねぇ。丸太的にですが。



あ、結局 カズオ・イシグロさんについてかなり書いてしまいました。
素晴しいです。彼の小説は。


「素晴しい」とか一番陳腐な言葉を使ってしまいましたがお許しください。



だって素晴しいんだもの。



それから『レッドクリフ partⅡ』も観にいきました~
ジョン・ウー監督の素晴しさがやっと分かったような気がします。
金城武にはもう少し違う意味で活躍してほしかったなー。なんて。


スポンサーサイト
結婚当初の願いはささやかなものだったんです。

元々家にいるのが好きな丸太は、子供の服を縫ってあげたり、好きな手芸や読書を楽しみながら、あたたかい家庭を築きたかったんです。
ただそれだけです。
夫に出世してもらって金持ちになりたいとか、高価な服や宝石が欲しいとか、そんなこと望んでもいませんでした。


でも20うん年経ってみたらこのザマです。




きょうは今の自分の考えをメモ代わりに残しておきたいと思っているんです。
長くなるのでスルーしてもらっていいですよ~





特に夫婦関係において「今」自分はどうすべきなのか、真に何を望んでいるかをここのところ考えていたのですが・・・
離婚することは決まっていて、おおよその時期とか諸々のことも大体はまとまっているんですが、これでいいんだろうか、という思いもあるんですよね。

「離婚」という話になったのは、丸太が両親の介護でぼろぼろになっていた時だったので、投げ遣り気味の感もあったんですよ。特に丸太的に。夫の非協力的な態度にも猛烈に怒ってたし。


でもね、
格好つけるわけではないのですが、
一番に願っているのは夫の幸せです。

もし今 穏便に別れれば、夫の実家は裕福ですから、親族からの紹介もあるかもしれないし、新しいパートナーが見つかるんじゃないかと思うんです。そうして新たな出発をしてほしい。

そのために「離婚」するのが一番いい方法だと考えているのです。

「夫の幸せ」。
これはほんとうに一番願っています。





再び二人で頑張ってみるという選択はないのか・・・?


JW.comのどせいさんが記事を更新されて「エホバの証人と夫婦関係 」に関しての考察を書いてくださったんですよね。

最後の判例の中にもありましたが、「7年の別居生活の間に生じた夫婦の間の亀裂は埋め難い。」
まさにこの言葉のとおり、深い深い溝を埋めることはとても難しいです。

ウチは夫の単身赴任生活がほぼ7年なのですが、それ以前から夫は日常いつも怒ってる状態でして・・・
丸太がエホバの証人から聖書について学び出してからずっとなわけですから、もうとても長い間怒ってます。
その間に生じた溝を埋めるのはとっても難しい・・・



今頃 JWの間違いに気付いて出てきても、時すでに遅し、です。
もう水に流せないんだと思います。



どせいさんの考察の中の エホバの証人教理が夫婦にもたらす影響のマイナス面・・・これまさにこの通りですよね(l|゚Д゚l|l)

こんなことを配偶者がし始めたら、自分だったらどうでしょうか?夫の身に置き換えて考えてみると、とてもじゃないけれどおおらかに接するということはできないのでないかと思います。この理不尽な苦しみから逃れるためには 寛容になって見過ごし自分が我慢するか、さもなくば別れるか、残る一択は最悪自分も信者になるかですよね。

毎日「霊的な」何かがあるわけですからー集会か奉仕がー夫はいつも不愉快で怒っているわけです。諦めるっていうこともできなかったんでしょうね。



それに今では単身生活にすっかり慣れてしまって、誰にも煩わされない 一人暮らしの暢気さも捨て難いんじゃないかとも思います。

一方丸太もこれに慣れてしまってるんですよね。口うるさい夫がいない。これほどのびのびとした生活はありません。
夫の幸せを願ってるって言いながら、こんな気持ちの一面があるのも認めなければなりません。


そうは言っても
「やっとJWの間違いに気付いてくれたか!?! これからは家族仲良くやっていこう!」という夫の思いがあるのなら、丸太に異存はありませんよ。これまでかけた迷惑と苦労のお詫びに一生懸命尽くしたいと思います。
でももはやこんな気持ちは無いみたいです。


それにウチの子供達は精神的に不安定になることがあるんですね。そういう時の家庭の雰囲気に耐えられないって言うわけなんです。
子供に同情心を抱けない父親とうまくやって行くのはすごく難しいんじゃないでしょうか。

「ごるぁああ!!! あんたも親の一人じゃ! 責任取らんかい!!!」と言いたいですけど、もう一方の責任の一端は丸太にあるわけで・・・


やっぱり ややこしいこの家庭から開放してあげるのがベストではないか。そんな風に考えるわけです。





でもねぇ、財産分与に関しても至極冷静に話せる夫と丸太。月に一、二回一緒に食事をするんですが、かつてないほど穏やかに話せるんですが、もうすっかり気持ちが他人になっているからなんですかね~
こんな大人な二人ならなんとかうまくやっていけないものかと、ふと思う今日この頃です。

もっと ほんとうにどう思っているのか つっこんだ話し合いをすべきなんでしょうか?


うーーーん、でも「これはもう決定事項だから。」って言われたしな~





あ、そうそうここでもっぱら書いているのは丸太の一方的な主観で、夫のいい点も丸太の欠点も書ききれてないことがたくさんあります。

「こんないい奥さん そうそういないと思うけどねー。」なんてよく子供と話してたんですが、夫の一番きらいなことを毎日熱心にやってて、どこがいい奥さんなんだか(;´Д`)

それに、丸太はぐちぐち愚痴を言うのが嫌いなかわりに 必要なことをも言わずに控えてしまうところがあるんですよ。現役JWの頃は特に「頭の権」を非常に重んじてましたからね。「それは違うんじゃないか」とか「こうして欲しい」ということも言わないのはとってもいけませんね。口に出さなければ人の気持ちなんて汲み取るのは難しいですよね。これが丸太の最大の欠点です。

いや分かってるんですよ、よく。なかなか性格は変えられません。





いつものようにだらだら書いてしまって まとまりませんが、どうしてあげるのが一番いい方法なのかがね、「こうしなさい!」って誰かに決めてもらえたらありがたいんですけど・・・
子供以下ですね。こんな戯言 言ってるなんて。
ついでにもう一言「戯言」言ってもいいですか?



人生もう一回やり直せないだろうか。。。。。。



すごく寂しいオチになったので、書き換えますw


ええっと、

熟年パワーをばかにしちゃいけません。
丸太もこれからです!

希望を捨てずにがんばります!    

(*・ω・)


自分で言ってます・・・(笑

きのう さくさくっと自分のブログを読み返してて気が付きました!
この 脱JWブログを始めて今日で1年です^^
パチパチパチ・・・  拍手~~~^^


あれから1年経ったんですね~


大して前進はしてないかもしれませんが、後退はしてないように思います。

このブログを始めた頃は解き放たれたような爽快な気分だけでなく 「後悔」という感情にも大いに支配されておりまして、取り返しのつかないことをした・・・という悔いの気持ちが強くて辛かったんですが、今はかなり前向きに考えているように思います。


もちろん「後悔」の念はずっと続くでしょう。でもいつまでもそれに支配されていくのはナンセンスですよね。


まだ解決を図らなければならないことばかりですが、何とかなるだろうという楽観視できる余裕みたいなものがあります。
生来の「ケセラセラ」的性格も幸いしているのかもしれません。



こんな回りくどい簡潔でない(笑)文章ですが、少しずつブログを書いてきてよかったなぁ、と思ってるんですよ。
今もしいろいろ悩んでるJW関係の人は アメーバブログで内密にでもいいし(見る方はちょっと淋しいけど)、気持ちを発露する場所を作るようお勧めします。

こんな拙い記事ですが、載せようと思えば普段からあれこれ考えるわけですね。もちろん誰でもいつも何かしら考えているものだけど、改めて考えをまとめるという作業までいかないでしょう?でも記事にしようと思えば、ウゥーキングしながらとかお風呂に浸かりながらとか 結構文章にするためにまとめているんですね。
それを繰り返すと ある程度軌道修正しながら上書き保存しているようなもので、考えが整理されてくるように感じます。自分を客観視できるし。

ほんとうに助けられました。



それから若い元二世の方々のブログにも随分と助けられました。
その健気さに心打たれるし、JWの子供として育つということがどんなものだったのかを知る機会になりました。子を持つ親として、読むのは辛いけれど本当に勉強になりました。

そして数は少ないけど丸太にとって欠かせない同年代の方々のブログ。気持ちがよーーーくわかります。
一世JWが組織を出るのも力がいるんですよねー

「同志」という言葉を使う方もありますが、ほんとうに修羅場をかいくぐってきた仲間です。これからもブログを通してでもいいから力をもらいたいと思っています。




小さな夢もちらほら描いています。
幾つかあるんですが(笑

60くらいになったら 絵を本格的に習ってカンバスに描けたらいいなぁ。できれば海の見える家とかのアトリエで・・・

これできそうでなかなか難しいと思うんですよねぇ。
今のまま夫にくっついてれば老後は安泰なんですが、きっと離れてると思うし、この家にもいないと思うんですよ。
家に執着はないけど、金銭的にどうなってるかが問題です。



でも「夢子」さん、まだ考えてます。
でも内緒です(笑

ささやかな夢はいつまでも持っていたいと思います。
叶うか叶わないかは別にして。





まぁ、こんな人生の大失敗をしてしまって「自信」の喪失という難題がありますが、これって多分生涯回復は難しいと思ってます。体があまり丈夫じゃなくても小さい頃から自信の無い時って未経験だったんですが、衝撃の「自信喪失」!
これ大きいですよねー




でもぼちぼち頑張ります。
少しの楽しみと 少しの社会貢献を合言葉に♪



あ、最後になりましたが、いつも当ブログを楽しみに(?!?)見てくださっている皆さん。応援ありがとうございます!どうぞこれからもよろしくお願いいたします^^



「大型連休」という世間の喧騒を他所にマイペースな普段と変わらぬ日々を過ごしております丸太です~(笑

以前は連休と言えば、子供も学校を欠席させて、東へ西へと丸太と夫の実家に律儀に行ったものですが、丸太の両親も亡くなり夫の父もこの世におらず、なお且つ丸太は夫の実家には出入り禁止状態になっておりまして(;´Д`)
出入り禁止なのかどうか よく分からないんですけれどね。夫が曖昧で。

まぁ、夫のマザコンも多少あるし 他にもここでは曝せない事情がいろいろあるとは言え、半分は丸太の責任でして、撒いたものを文字通りに刈り取っているわけです・・・



この歳になると、夫は5歳上ですし、親戚中高齢化していて次から次へと不幸があるわけですね。そして慣例として、ある人が亡くなればその時だけではなく、次から次へと関連した法事等がありまして、それに一々何だかんだとJW的都合を言っておりましたものですから、あちらの堪忍袋の緒が切れたわけです・・・

「一切しません!」なんて言ってなくて かなりグレーゾーンにも足を入れたんですが、ややこしいですよね、感情的にも。ただただ申し訳ないです。



今さらJW辞めたって言ってもねー・・・w



でも一方で、そういう世間の付き合いが苦手な自分としてはちょうど都合がいい、なんて超勝手な了見なのです。

やれやれ。


自分という人間がほとほといやになります。。。。。。。

(ホントは好きなんです。自分のことが(驚))



上の子も東京近辺でゆったり遊ぶみたいだし、もう親と何かするっていう年でもないですからね~

水族館と植物園に行きたいのですが、一人ではちょいと寂しいでしょう。
友だちが一人もいないんですよ。

あらら・・・




「エホバをすっかり辞めるべきじゃなかった。早く友だちを作れ。」とか先日夫が言ってましたが、何を今さら・・・(`・ω・´)


来月あたりにはまた上京して 今度は鎌倉に一泊旅行に行きたいなんて計画してます。
例の新型インフルエンザが大丈夫だったら。

それで同じ鎌倉に行くんだったら ちょっと何か関連した読み物にでも触れておこう、と思い、
今 川端康成の「山の音」を読んでます。


以下、新潮社から借りてきました。
『深夜ふと響いてくる山の音を死の予告と恐れながら、信吾の胸には昔あこがれた人の美しいイメージが消えない。息子の嫁の可憐な姿に若々しい恋心をゆさぶられるという老人のくすんだ心境を地模様として、老妻、息子、嫁、出戻りの娘たちの心理的葛藤を影に、日本の家の名状しがたい悲しさが、感情の微細なひだに至るまで巧みに描き出されている。戦後文学の最高峰に位する名作である。』


川端康成の書いたものはほんとうに「美しい」という言葉がぴったりですね。
醜い事柄も何か哀しく美しく迫ってくる。


ただですね、この主人公は62歳くらいなんですが、もう死期を前にして枯れそうな雰囲気なんですよね。死期というか寿命ですね。

書かれたのが1954年で丸太がまだ生まれてない頃だから、当時としてはもう62とかいったら今の70歳くらいの感覚だったのかな~と思います。
学校の同期も次々に亡くなっていくんですよ。主人公ももの忘れがひどくて、何かしら思考が曖昧で、人生の終焉を感じてるんです。

それがなんとも今の丸太には妙にこたえてですね。自分の寿命まで短くなったように錯覚します。これを読んだのはちょっと失敗でした。もっとこうエネルギーを吹き込んでくれるようなものを読むべきでした。

まぁ、鎌倉の自然や四季が主人公の口を通して美しく見えてきたので、その点が良かったです。まだ最後まで読んでないけれど。



「雪国」とか「伊豆の踊り子」とかしか読んでないので、他のものも読みたいなぁ、とは思ってます。
でも若い人の心には この「山の音」は響かないかもしれませんね。丸太にはある意味響き過ぎましたが・・・

かつての日本の風情というか心の有りようというか、「美しい国 日本」みたいなものをこういう文学を通して知ってもらいたいとは思いますね。
もう古典を読んでるるような気分になるほど世の中変わり過ぎましたからねぇ。




川端康成は美しい人がいると 本人が当惑してしまうほど凝視する癖があったそうですが、そんなに見つめたくなるほどの美人or美男に会ってみたいものです。


   by 丸太



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。