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「神が実在するなら、何故邪悪なこと残虐なことが放置されているのか?」という疑問がエホバの証人になるよう動かした疑問の一つですが、「自分は何者か、人は死という運命を避けられないのか?」という恐れもその一つに入ります。

信仰をすべてリセットした今、これらの疑問に対する答えも白紙に戻りました。


JWから逃れた喜びの時が落ち着いて、最近『死』に対する恐れがまた頭をもたげてきていて、しかもそれがエホバを知った時よりさらに『The end』に近いわけです。年齢的に。眠りに落ちる前の静寂なひととき、無性に恐くて胸がどきどきすることが時々ありました。まるで「中二病」ですね(笑

この歳になってなんと往生際の悪いことでしょう・・・


それが、すぅっと薄らいでいるんですよね、ここのところ。どんな自己暗示をかけたのでしょうか?
どうもそれは、先回書いた天童荒太さんの『悼む人』を読んだことと関係があるようです。この書の中の何に?と問われても何ページのここの記述です、とは答えられないのですが、不思議に癒されたというか安らぎを与えられたというか、もっと文の才があれば明示できるのかもしれません。何とさみしいことよ・・・


それから、あともう少し読み残している福岡伸一さんの考え方というか、彼が科学的実証学的(?)に得た知識とも関係があるように思います。

彼の著書『生物と無生物の間』という本はベストセラーにもなったそうなんですが(さもありなん)、そもそも彼の著した本を読みたいと思ったのは、NHKの爆笑問題の「日本の教養」という番組の中で知ってからです。

毎週楽しみに見ているのですが、その中で福岡さんは、よく川辺に佇んで水の流れをみることがあると言われていました。そしてこの文章を思うのだと。

「行く川の流れは絶えずして元の水に非ず。澱みに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて留まりたるためしなし。世の人と棲家とかくの如し。」

これこそ丸太の人生観そのものなんですよ(ソロモンも近いこと言ってますね・・・汗)。学生の時に知ったこの鴨長明の『方丈記』ほど丸太の懐にすとんと落ちたものはありません。

福岡さんもこの文を引用して、人間の体もこの水の流れと同じだと言われた。一年前の自分と今の自分は同じ人間のようで実は全く別物になっているのだと・・・
つまり体を構成している分子は絶えず入れ替わっていて、同じ人として留まっていることはないのだと。その言葉に非常に興味をそそられて、福岡さんの書かれた著書を読んでみたいと思ったのでした。
ほんとうにこの本面白いですよ~  興味深いです。
丸太のように教養の浅い者に、「知った!」という喜びを与えてくれます。DNAの螺旋構造について平明に知りたい方は是非この『生物と無生物の間』という本をご覧になってみてください。



それで今日は何を言いたかったのか忘れしまいましたが(;´Д`)
読書は素晴しい!ということでしょうか。

「美しく生きるための10の条件」とか「賢く儲けるための10の法則」とかのハウツーみたいな本も時には役に立ちますが、そういった言わばサプリメントのような安易な読み物ではなく、時間をかけて様々な栄養素になる豊かな食事のように、少し分厚い努力のいる本をお読みになるようお勧めします。直接自分の悩みに答えてはいなくても時が経てふと思い至るような良い考えをもたらしてくれるかもしれません。


・・・・・・なんて偉そうなことを言ってしまいました。



まだまだ丸太の死への恐れは克服できたわけではありませぬ。
ただ取りあえず、受け入れなければならないということ、そこに至るプロセスを、つまりは自分の人生をよりよく生きるようにしたい という願いは、 エホバの証人であった頃より より人間的に考えることができるようになりました。

自分なりに進歩している、と喜ぶことにいたしましょう(*´∀`*)



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なんて気取ったタイトルでしょうw

どたばたしている間に 今は福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」を寝る前に少しづつ読んでます。
福岡さんは分子生物学者ながらすごい文才のある人で 作家のコラム読んでるみたいな気分になります。


さて、やっと 「ゴールデンスランバー」。
この本の帯には
『伊坂的娯楽小説特抜頂点』というすごいキャッチコピーが入ってるんですが、さすがうまいこと言います。ホントそんな感じで痛快に読めます。
内容についてはコピペでお許しを。下記の通りです。

■仙台で金田首相の凱旋パレードが行われている、ちょうどその時、青柳雅春は、旧友の森田森吾に、何年かぶりで呼び出されていた。昔話をしたいわけでもないようで、森田の様子はどこかおかしい。訝る青柳に、森田は「おまえは、陥れられている。今も、その最中だ」「金田はパレード中に暗殺される」「逃げろ!オズワルドにされるぞ」と、鬼気迫る調子で訴えた。と、遠くで爆音がし、折しも現れた警官は、青柳に向かって拳銃を構えた―。精緻極まる伏線、忘れがたい会話、構築度の高い物語世界―、伊坂幸太郎のエッセンスを濃密にちりばめた、現時点での集大成。■


構成がすばらしく、ジェットコースターに乗るがごとく、いやジェットコースターは苦手だから、心地よく滑る川流しの舟に乗ってるかのように一気に読みました。遅読なので徹夜してしまいまいた・・・

近未来の危うさと現代の世相を織り込みながら、まぁこんなことは無いだろう、と考えながらも、「事実は小説より奇なり」かもと感じさせたり。

習慣と信頼』というキーワードが出てくるのですが、決してハッピーエンドではないけれど、あたたかい気持ちを残してくれる小説でした。人を信頼することの美しさみたいな・・・ぜひ図書館で借りるとかして読んでみてください。




天童荒太氏の「悼む人」。
ざっと読んで丸太的に少し違和感のある話が随所に見られたんですが、それは多分既刊の小説によって(『永遠の仔』や『家族狩り』など)強い先入観をもっていたからなんでしょうね。7年ぶりくらいの小説だったので、期待も大きかったし。

あ、これも筋をコピペすると・・・
■全国を放浪し、死者を悼む旅を続ける坂築静人。彼を巡り、夫を殺した女、 人間不信の雑誌記者、末期癌の母らのドラマが繰り広げられる ■


なんといってもラストが丸太的に何故こうなの?と天童さんに問いたい感じだったのですが・・・

でもこれを読んでからいろいろ思い巡らしていたら、数日経って、「自分は死んだ後、周りの親しい人たちにどんな風な人として思い出してほしいだろう?」とふと思ったんですよ。これこそが天童さんが言いたかったことの一部ではないかと、そう自問させる天童さんの筆力に感嘆しました。
だっていろいろ引っかかって納得いかないというか好まない言葉とか文章があふれてたのに、気付いたら天童さんの掌に乗ってた、みたいな。


それで・・・
「自分は死んだ後、周りの親しい人たちにどんな風な人として思い出してほしいだろう?どんな人として記憶してほしいだろう?」

「母は、おばあちゃんは、ちょっと変わった人だったけど、静かで思いやりのある、家族を心から愛する人だった」と、こんな風に言ってもらえたら最高ですね。



ここで、「ちょっと変わった人だったけど」がポイントです。
普通はいやなんですね。「普通」って何?って聞かれたら答えようがないのですが、ちょっと変な方が好きなんです。だからそういう意味ではJWに満足してたんだけれど・・・w

「静かで」というのもポイントです。わざわざ人の中に入ってお節介やきたくないですけど(あ、これは今問題になってる話とは無関係に)、自分に関わった人がふっと安らげるような人になれたら理想的ですね。何か「気付き」的なものを感じとってもらえたら。一応積み重ねてきた人生だけは人並みにあるんですからねぇ。



かつて(!)の座右の銘はこうでした。
「エホバがあなたに求めておられるのは、ただ公正を行い、親切を愛し、慎みをもってあなたの神と共に歩むことではないか。」(ミカ書6章8節)


あ、なんか不覚にもジワッと胸が熱くなった・・・



今のところはJWともエホバとも共に歩むことはないですが、「公正」や「親切」、「慎み」をもって人生を歩きたい気持ちに変わりはありません。

ついでに自分が愛せる神様も見つけられたらいいな。


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